題「ゴッドファーザー パートⅡ」
(原題"The Godfather part2"aka"Mario Puzo's The Godfather:Part Ⅱ")
1974年米 監督:フランシス・フォード・コッポラ(兼脚本)
主演:アル・パチーノ、ロバート・デ・ニ-ロ
媒体:TV放送(吹替え)
(あらすじ)
ビトー・コルレオーネが幼くしてアメリカに渡ったのは1901年だった。
シシリーの故郷を支配するマフィアの手により父と兄を殺され、自分までやがて復讐するだろう芽を摘み取るために殺されそうになり、母が命を懸けて逃がしたビトーは、たった一人でアメリカの土を踏んだのだ。
それから57年後。彼の孫であるアンソニー・コルレオーネは聖体拝領を受けていた。
アンソニーの父親であり、コルレオーネ・ファミリーの二代目のボスであるドン・マイケルはカジノ産業を主な収入源とし、ファミリーの拠点をニューヨークからネヴァダへと移していた。邸宅ではパーティーが催されたが、その夜マイケルは寝室で何者かに銃を乱射される。
銃撃の犯人がマイアミを牛耳る古狸であり、現在マイケルがビジネスのための交渉を進めているハイマン・ロスの部下であると踏んだマイケルは、事態を収拾しようと試みるが―
(感想)
前作のラストから6年後、そして数十年前の物語が交互に展開されてゆく第2章。
新たなゴッドファーザーとなったマイケルが新たなファミリーを形成していく様と、パート1で画面を埋め尽くすかのような存在感を放っていたにも関わらず、謎に包まれていたドン・ビトーの過去が交互に描かれる。演じるのは当時30過ぎの円熟期に差し掛かったデ・ニーロで、脂ノリノリの演技で見事若き日のビトー・コルレオーネを表現している。
この手法が功を奏し、この作品に独特の流れを作り出している。
老成したときのそれの様に、仁義と優しさを重んじる人格が、自然と慕う人々を集め、徐々にファミリーとなっていったビトーの青年時代と、恐怖と暴力で支配を広めようとするマイケルの対比が面白い。
それと同時に、子どもや妻とも心が離れてゆき、孤独に悩むマイケルの姿が哀愁を誘う。
マイケルは父よりも人を愛することに不器用だった。それが仕事に対し強くあろうとする姿勢とも重なって、自分が皆のためになると思ってやることが結果的にさらに自分の孤独を深めてしまう結果になる。
哀愁漂う背中とやりきれない思い、そして血みどろの抗争。堪能してください。
<関連リンク>
[前編・後編]
「ゴッドファーザー」(第1作)
「ゴッドファーザー PARTⅢ」(第3作)